「テニスの点数って、どうして0(ゼロ)のことをラブって言うの?」 「15、30ときて、次はなぜ40なの?」
テニスを楽しんでいると、ふとそんな疑問を持ったことはありませんか? 実はテニスは、数あるスポーツの中でも「謎と伝統」が特に多いスポーツです。その起源を辿ると、古代エジプトの宗教儀式から、フランス王室の恋愛事情、そして日本のゴム産業の歴史にまで繋がっていきます。
この記事では、詳しく、そしてドラマチックに「テニスの歴史」を紐解いていきます。読み終える頃には、いつものコートが少し違って見えるはずです。
目次
テニスの夜明け前 ~すべては「手」から始まった~
テニスの歴史を語る上で、絶対に避けて通れないのが「ラケットは最初、存在しなかった」という事実です。
古代エジプトと宗教儀式説
多くの歴史家が、テニスの最も古い起源を古代エジプトやペルシャに求めています。壁画にはボール遊びをする人々の姿が描かれていますが、当時はスポーツというよりは「宗教的な儀式」でした。ボールは太陽や豊穣の象徴であり、それを打ち合うことは神との対話を意味していたと言われています。
「ジュ・ド・ポーム」の誕生
テニスの直接的な先祖として最も有力なのが、11世紀~12世紀頃のフランスで修道士たちが始めた「ジュ・ド・ポーム(Jeu de Paume)」です。フランス語で「手のひらのゲーム」を意味します。
修道院の中庭(回廊)を使い、手作りのボールを手のひらで打ち合っていたこの遊び。壁や屋根の傾斜を利用する複雑な跳ね返りは、現在の「リアルテニス(王室テニス)」の複雑なルールの原型となっています。
【ここがポイント!】なぜ修道院で?
修道士たちは厳しい戒律の中で生活していましたが、運動不足の解消や気晴らしが必要でした。閉ざされた空間である「中庭」が、現在のテニスコートの広さや形状のベースになっているというのは面白い偶然です。
貴族たちの熱狂と「テニス」語源の謎
修道院で生まれた遊びは、やがて王侯貴族の間で爆発的に流行します。ここから、現代につながる「道具」と「言葉」が生まれました。
「Tenez(トゥネ)!」がテニスになった?
「テニス」という名前の由来には諸説ありますが、最も有力なのがフランス語の動詞「Tenir(掴む・持ちこたえる)」の命令形、「Tenez(トゥネ)」説です。
サーバーがボールを打つ際に、「さあ、打つぞ(取ってみろ)!」という意味で「Tenez!」と叫んでいたのが、イギリスに伝わった際に聞き間違えられ、「Tennis」として定着したと言われています。もし当時のフランス人が違う掛け声をかけていたら、このスポーツは全く別の名前になっていたかもしれません。
痛いから「グローブ」、そして「ラケット」へ
初期のボールは、羊毛や髪の毛を革で包んだ硬いものでした。これを素手で打ち続けると、当然ながら手が腫れ上がります。 そこで貴族たちは考えました。
- 手に革紐を巻く
- グローブ(手袋)をはめる
- グローブの指の間に網を張る
- 棒をつけて手の届く範囲を広げる
こうして16世紀頃、ついに「ラケット」が登場します。ラケットの語源はアラビア語の「ラーハ(手のひら)」や「ラケ(網)」にあると言われ、ここでも「手」との深いつながりが見て取れます。
テニスの近代化革命 ~ウイングフィールド少佐の功績~
中世の「リアルテニス」は屋内で行われる貴族専用の遊びでしたが、19世紀後半、産業革命期のイギリスで劇的な変化が訪れます。
芝生への進出と「スフィリスティケ」
1873年、イギリスのウォルター・クロプトン・ウィングフィールド少佐が、画期的な発明をしました。彼はテニス用具一式(ラケット、ボール、ネット、ルールブック)を木箱に詰め、「スフィリスティケ(Sphairistikè)」という名前で商品化したのです。
ギリシャ語で「球戯」を意味するこの商品は、別名「ローンテニス(Lawn Tennis)」と呼ばれました。 これこそが、現在のテニスの直接的な起源です。
持ち運び可能: どこでも平らな芝生があればプレイできる。
女性も参加可能: 当時のクリケットなどは男性中心でしたが、テニスは男女が交流できる社交ツールとして爆発的に普及しました。
ウィンブルドンの誕生とルールの統一
ウィングフィールド少佐の考案したコートは、現在の長方形ではなく、中央が狭くベースラインが広い「砂時計型」でした。 しかし、1877年に第1回ウィンブルドン選手権が開催される際、ルールの大幅な見直しが行われます。
- コートは長方形に。
- 点数方式の統一。
こうして、現代のテニスとほぼ変わらない形が19世紀末に完成したのです。
永遠の謎「スコアリングシステム」を解明する
テニス最大のミステリー、それは「0、15、30、40」という独特の点数と、「ラブ」という呼び方です。なぜ1、2、3ではないのでしょうか?
なぜ15刻みなのか?(時計説 vs 貨幣説)
1. 時計盤説(The Clock Face Theory)
最もポピュラーな説です。時計の文字盤を4分割し、15分、30分、45分と進んでいくというもの。 「じゃあなぜ45じゃなくて40なの?」 これは、コールする際に「フォーティ・ファイブ」と言うのが長すぎて言いにくいため、「フォーティ」に省略されたという説が有力です。また、デュース(40-40)になった際、2ポイント連取で上がりとするために、針を少し戻すスペースが必要だったとも言われています。
2. フランス貨幣説
中世フランスで賭け事として行われていた際、使用されていた硬貨(1ドゥニエ銅貨など)の単位が15進法に近いものだった、あるいは15スーという単位で賭けられていた、という説です。
0(ゼロ)がなぜ「LOVE」なのか?
これにもロマンチックな説と、形状由来の説があります。
卵説(L’oeuf): フランス語で卵を意味する「l’oeuf(ルフ)」が、ゼロの形に似ていることから使われ、それが英語圏で発音が訛って「Love」になったという説。野球でゼロを「ガチョウの卵(Goose egg)」と言うのと似た発想です。
「愛」説: 「金銭のためではなく、愛(名誉)のためにプレイする」という意味から、点数がない状態をLoveと呼んだという説。
真実は闇の中ですが、「卵説」が言語学的にも有力視されています。
日本テニス史 ~軟式テニスはなぜ生まれた?~
ここからは、世界でも類を見ない日本独自のテニス史に焦点を当てます。なぜ日本には「硬式」と「軟式(ソフトテニス)」の2つがあるのでしょうか。
横浜への上陸
日本にテニスが伝わったのは1876年(明治9年)頃。ウィングフィールド少佐の発明からわずか数年後という驚異的なスピードでした。横浜の山手公園に、外国人居留地の人々によって日本初のテニスコートが作られました。
ボールが輸入できない!ゴムボールの代用
当時、テニス用具はすべて輸入品。特にフェルトで覆われた硬式ボールは非常に高価で、国内での製造も困難でした。 そこで、明治時代の日本の教育者たちは素晴らしいアイデアを思いつきます。
「子供用のゴムまり(玩具)で代用できないか?」
当時、日本国内ではゴム産業が育ち始めており、安価なゴムボールなら手に入りました。フェルトのない、プニプニとしたゴムボール。これに合わせてラケットも軽量化・改良され、独自の進化を遂げたのが「軟式テニス(ソフトテニス)」です。
欧米の真似をするだけでなく、自国の環境に合わせてスポーツをローカライズ(現地化)してしまう日本人の柔軟性が、世界でも珍しい「2つのテニス文化」を生み出したのです。
熊谷一弥と「日本テニスの父」たち
1920年のアントワープオリンピックでは、熊谷一弥と柏尾誠一郎が日本スポーツ史上初のメダル(銀)を獲得します。彼らはもともと軟式テニスの出身でした。軟式特有の「厚いグリップ(ウエスタングリップ)」から繰り出される強烈なトップスピン(ドライブ)は、当時の欧米選手を驚愕させました。 現代のテニスでは当たり前になったトップスピン打法ですが、実は100年前の日本人がその先駆けとも言えるスタイルを持っていたのです。
オープン化と現代テニス ~アマチュアからプロへ~
歴史の中で最も大きな転換点の一つが、1968年の「オープン化(Open Era)」です。
「偽アマチュア」問題の解消
それまで、グランドスラム(4大大会)などの主要な大会は「アマチュア選手」しか出場できませんでした。しかし、実際には裏金を受け取ってプレイする選手が後を絶たず、「シャム・アマチュア(偽アマチュア)」と呼ばれて問題視されていました。
実力のあるプロ選手たちが最高の舞台で戦えないという矛盾を解消するため、1968年にプロ・アマの壁を取り払い、すべての選手に門戸を開放しました。これが「オープン化」です。
これにより、テニスは賞金スポーツとしての地位を確立し、テレビ放映権料やスポンサー契約によってビジネス規模が巨大化。ボルグ、マッケンロー、フェデラー、ナダル、ジョコビッチといったスーパースターたちが活躍する土壌が整いました。
テニス用具の進化論 ~木材から宇宙素材へ~
テニスの歴史は、テクノロジーの歴史でもあります。
ラケット素材の変遷
~1970年代:ウッド(木製) マッケンローやボルグの初期は、重くて面の小さな木のラケットでした。スイートスポットが狭く、高度な技術が必要でした。
1980年代:メタル&グラファイト 「デカラケ(プリンスなど)」の登場で革命が起きます。面が大きくなり、初心者でもボールを飛ばせるようになりました。
現在:カーボン・チタン・ナノテク 宇宙開発にも使われるような軽量・高剛性の素材が登場。ボールスピードは劇的に上がり、女子選手でも200km/h近いサーブが打てる時代になりました。
ボールの色が「黄色」になった理由
昔のテニスボールは白や黒でした。 黄色(オプティック・イエロー)になったのは、1972年頃から。理由は単純で、「カラーテレビで見やすいから」です。テレビ中継の人気が高まるにつれ、視聴者がボールの軌道を追いやすい色が採用されたのです。(※ウィンブルドンだけは伝統を重んじ、1986年まで白いボールを使っていました)。
そして未来へ ~AIとテニス~
歴史を振り返ってきましたが、テニスは今も進化し続けています。 ホークアイ(チャレンジシステム)の導入により、イン・アウトの判定はミリ単位で正確になりました。さらに最近では、線審を廃止し、すべてAI(自動判定システム)に任せる大会も増えています。
古代エジプトの儀式から始まり、フランスの回廊、イギリスの芝生、そして日本の校庭を経て、デジタル技術と融合した現代テニスへ。
道具やルールが変わっても、変わらないものがあります。 それは、ネットを挟んで相手と対峙する緊張感と、ボールを芯で捉えた時の爽快感です。
まとめ:歴史を知れば、テニスはもっと楽しくなる
テニスの歴史、いかがでしたでしょうか? 最後に、今回のポイントを振り返ってみましょう。
起源は宗教儀式: 手のひらで打つ「ジュ・ド・ポーム」が原点。
言葉の由来: 「Tenez(打つぞ)」がテニスに、「卵(l’oeuf)」がラブになった。
革命児ウィングフィールド: 箱入りセットの販売がテニスを世界に広めた。
日本の独自性: ボール不足から生まれた「軟式テニス」は世界に誇る発明。
テレビの影響: ボールが黄色いのは、テレビ映えのため。
明日コートに立った時、ラケットを握りながら「これも昔は羊皮紙だったんだな」とか、0-0のスコアコールで「卵(ラブ)!」と心の中で呟いてみてください。 きっと、いつもより少しだけ、テニスというスポーツが愛おしく感じるはずです。
もし、この記事を読んで「へぇ〜!」と思ったら、ぜひテニス仲間の休憩中の話題にしてみてください。テニスの歴史を知ることは、プレイスタイルを変えることはないかもしれませんが、テニスを愛する気持ちを間違いなく深めてくれるはずです。
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